オンライン展覧会【開館55周年記念特別展】奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―
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オンライン展覧会【開館55周年記念特別展】奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―

オンライン展覧会開催にあたり

山種美術館では2021年11月13日(土)から2022年1月23日(日)まで「【開館55周年記念特別展】奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―」を開催します。

この時期、外出を控えていらっしゃる方々にも本展の魅力を味わっていただきたいという思いから、このたび、オンライン展覧会を開催します。オンライン展覧会では、展覧会の展示作品をすべてご覧いただけます。展覧会場のパネルやキャプションに加え、本展覧会に合わせてピックアップした奥村土牛のことばも収録。一部の作品は部分拡大画像を載せており、細部までお楽しみいただけます。お好きなお時間にゆっくりとご覧ください。ご来館前や後の予習・復習にもおすすめです。

開催概要
・出品作品数:全69点
第1章 土牛芸術の礎 21点
第2章 土牛のまなざし 18点
第3章 百寿を超えて 18点
特集:土牛と山﨑種二 12点
資料2点
*こちらのnoteでは、展覧会に出品されている作品の画像や解説などを掲載しています。

・販売価格:980円
・オンライン展覧会 会期:記事をご購入いただくとご登録メールアドレスに自動送付され、無期限でご覧いただけます。
・冒頭の3点を無料で公開していますが、全てをご覧いただくためには、無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。

土牛展 タイトルサイン_S


ごあいさつ

山種美術館では、開館55周年を記念し、当館がその代表作を多数所蔵している日本画家・奥村土牛(おくむらとぎゅう 1889-1990)の展覧会を開催します。当館の創立者・山﨑種二(やまざきたねじ 1893-1983)は、「絵は人柄である」という信念のもと、同時代の画家と直接交流しながら作品を蒐集しました。特に土牛とは親交が深く、画業初期の頃から「私は将来性のあると確信する人の絵しか買わない」と土牛本人に伝え、その才能を見出して支援し、約半世紀にわたり家族ぐるみの交際を続けました。現在、当館は135点に及ぶ屈指の土牛コレクションで知られています。
土牛は、画家志望であった父親のもとで10代から絵画に親しみ、16歳で梶田半古(かじたはんこ 1870-1917)の画塾に入門、生涯の師と仰ぐ小林古径(こばやしこけい 1883-1957)に出会います。38歳で院展初入選と遅咲きでありながら、展覧会に出品を重ねて40代半ばから名声を高めます。美術大学で後進の指導にもあたり、101年におよぶ生涯を通じて、制作に取り組みました。土牛は、半古や古径から学んだ写生や画品を重視する姿勢を生涯貫き、「絵を通して伝わってくるのは作者の人間性」という自らの言葉を体現するような作品を数多く生み出しました。
本展では、瀬戸内海の鳴門の渦潮を描いた《鳴門》や、古径を偲んで制作した《浄心》、《醍醐》などの代表作をはじめ、活躍の場であった院展の出品作を中心に、土牛の画業をたどります。
土牛という雅号は、「土牛石田を耕す」の中国・唐の詩から父親が名付けたものです。その名の通り、地道に画業へ専心し続けた土牛。80歳を超えてなお「死ぬまで初心を忘れず、拙(つたな)くとも生きた絵が描きたい」、「芸術に完成はあり得ない」、「どこまで大きく未完成で終わるかである」と語り、精進を重ねました。近代・現代を代表する日本画家として、今も人々に愛されている土牛芸術の魅力を味わっていただければ幸いです。

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山梨県清春で桜を写生する土牛(87歳頃) 1976(昭和51)年頃

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第1章 土牛芸術の礎

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梶田半古塾(東京・牛込天神町)の新年会にて 1910(明治43)年頃

奥村土牛(1889-1990)は、画家志望であった父親のもと、幼少期から絵画に親しみ、16歳で日本画家・梶田半古(1870-1917)の画塾に入門します。そこで生涯の師と仰ぐ小林古径(1883-1957)に出会いました。画業の初期に二人の師から、写生への厳格な姿勢、色彩に対する鋭敏な感覚、作品の品格の重要性など、土牛芸術の核となる要素を学びました。
土牛は、本の装丁などの仕事をしながら制作活動を続け、遅咲きながら38歳のときに再興日本美術院展(院展)に初入選を果たします。師から学んだことを土台に、伝統的な日本絵画から、明治末期より大正初期に日本に紹介されたばかりの西洋絵画にいたるまで、さまざまな画風を吸収していきます。そして、草花や動物、風景など身近な題材を数多く取り上げ、「絵を通して伝わってくるのは作者の人間性」という自身の言葉に表されるような、清らかで温かさに満ちた作品を生み出しました。
本章では、大正期から昭和20年代にいたる作品を展示しています。院展の同人に推挙される契機となった《枇杷と少女》(No. 3)や、師・古径の洗練された線描を彷彿とさせる《聖牛》(No. 21)など、画家としての礎を築いた時期の作品をご紹介します。

No. 1 《甲州街道》

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奥村土牛《甲州街道》(こうしゅうかいどう)
1924(大正13)年 紙本・彩色・額(1面) 42.2×56.2cm
山種美術館

大正12年、関東大震災で自宅を焼失した土牛は、赤坂の親戚宅、青山隠田(おんでん 現・渋谷区)の借家を経て、下高井戸(現・世田谷区)の一軒家に移り住んだ。家財道具、写生や下図、画材など全てを失った絶望の中で、土牛は装丁の仕事を続けながら制作に取り組んだ。本作品は甲州街道そばの烏山(現・同区)辺りに取材しており、繊細な線描と淡い色彩、暈(ぼか)しが効果的に用いられ、詩情豊かな風景を描き出している。

No. 2 《雨趣》

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奥村土牛《雨趣》(うしゅ)
1928(昭和3)年 再興第15回院展
絹本・彩色・額(1面) 108.7×101.5cm
山種美術館

[-奥村土牛のことば-]
 「雨趣」は、当時の赤坂付近の雨の風景を、崖の上から見下ろす構図で描いた。赤坂といっても、まだ空き地や崖や木々がたくさんあって、今とはまるで違う趣であった。この年は雨の多い年で、私の絵も雨の風景になったのである。
(「私の履歴書 奥村土牛13」『日本経済新聞』 1973年9月23日)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 一ツ木から谷町に越した。やはり丘又丘の景であった。この年の夏は殆ど雨で、取材に行くことも出来ず、雨の中を写生した。うすい胡粉(ごふん)で全体の調子をとりながら、見えるか見えないかの雨を一本一本描いた。今なら省くのであるが。何も雨を一本一本描く必要もないだろうと、新聞で批評された。
(『奥村土牛』 文藝春秋 1979年)

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奥村土牛《雨趣》(部分)

No. 3 《枇杷と少女》

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奥村土牛《枇杷と少女》(びわとしょうじょ)
1930(昭和5)年 再興第17回院展
絹本・彩色・額(1面) 101.5×114.2cm
山種美術館

色づいた枇杷の実と濃い緑の葉をつけた木の下に、幼い少女がたたずんでいる。土牛は、柿、柘榴(ざくろ)、栗など果実の静物画を数多く手がけているが、果樹と人物を一緒に描いた作品は珍しい。立体的な実や葉の描写と、簡素な線と抑制された色彩による少女の描写との対比が印象的である。院展初入選作《胡瓜畑》(1927年、東京国立近代美術館蔵)の3年後に描かれた作品で、この2年後には同人に推挙された。

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1966(昭和41)年、日本初の日本画専門の美術館として開館。 2009(平成21)年、渋谷区広尾に移転、新美術館としてオープンしました。 創立者・山﨑種二の「美術を通じて社会、特に文化のために貢献する」という理念を受け継ぎ日本画の魅力を発信する美術館です。