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オンライン展覧会 山種美術館の上村松園(全18点収録)

オンライン展覧会開催にあたり
山種美術館では2022年2月5日(土)から4月17日(日)まで「【開館55周年記念特別展】上村松園・松篁 ―美人画と花鳥画の世界―」を開催します。

本展覧会の開催に合わせ、山種美術館所蔵の上村松園作品・全18点をWeb上でご覧いただけるオンライン展覧会を開催します。作品解説や作家のことばに加え、通常の図録ではみられない表装入りの画像や上村松園直筆の書簡も収録。一部の作品は部分拡大画像を載せており、細部までお楽しみいただけます。お好きなお時間にゆっくりとご覧ください。

ここでご紹介する作品は、全て上記の展覧会に出品されていますので、ご来館時の予習・復習にもおすすめです。

小冊子「山種美術館の上村松園」(2017年再販)との違いについて

上村松園作品・全18点を収録した小冊子「山種美術館の上村松園」(2017年再販)も販売中です。

小冊子のご購入方法
・山種美術館ミュージアムショップ
オンライン販売サイト
・上村松園・松篁展入場券とのお得な「図録セット券

本オンライン展覧会は、小冊子に未収録の表装についてのトピックや当館創立者・山﨑種二との交流が垣間見える松園の書簡を掲載しています。

開催概要
・出品作品数:全18点、上村松園から山﨑種二宛書簡2点
・販売価格:500円
・オンライン展覧会 会期:記事をご購入いただくとご登録メールアドレスに自動送付され、無期限でご覧いただけます。
・冒頭の1点を無料で公開していますが、全てをご覧いただくためには、無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。

ごあいさつ

 上村松園は、近代日本画における美人画の名手として不動の地位を築き上げた画家です。女性の社会的な活動が現代に比べてきわめて限られた時代を生きながら、一途に画業に没頭しました。1948(昭和23)年には、女性で初めて文化勲章を受章しています。
 京都の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれた松園は、娘時代から人物を描くことを好み、鈴木松年(しょうねん)、幸野楳嶺(ばいれい)、竹内栖鳳(せいほう)といった京都画壇を代表する画家たちに師事しました。制作に行き詰まり思い悩んだ時期もありましたが、古画、歴史、古典文学、能などを徹底的に研究し、格調高く気品に満ちた女性像を確立します。
 本展では、《新蛍》(No.4)、《砧》(No.8)、《牡丹雪》(No.16)など大正から昭和期に制作された代表作から、《娘》(No.14)に描かれた市井の女性の姿まで、当館所蔵の松園作品全18点をご紹介いたします。視線の動きやさりげない仕草から伝わる情感、江戸風俗を中心とした女性の髪型や着物、装飾品の繊細な描写、鮮やかに冴えた色彩に見る、松園作品の魅力をご堪能ください。

作家略歴

上村松園(うえむらしょうえん)
1875-1949(明治8-昭和24)年

 1875(明治8)年4月23日、上村太兵衛と仲子の次女として、京都に生まれる。本名津禰(つね)。父は誕生の2ヶ月前に他界し、母が葉茶屋を営みながら女手ひとつで姉と2人を育てる。1887年、京都府画学校に入学、鈴木松年に師事したのち、幸野楳嶺、竹内栖鳳に学ぶ。1890年、内国勧業博覧会で一等褒状を受賞、作品が来日中の英国・コンノート殿下に買上げられ、注目を浴びる。その後も様々な展覧会で受賞を重ね、実力ある女性画家として名を知られるようになる。1902年、長男・信太郎(松篁[しょうこう])を出産。1903年、家業の茶商を廃業、画家として独立する。
 文展、帝展を中心に活躍し、江戸・明治の風俗、和漢の古典や謡曲に取材した作品を手がけ、美人画に独自の境地を拓いた。1941(昭和16)年、帝国芸術院会員。1944年、女性で2人目の帝室技芸員に任命される。1948年、女性初の文化勲章を受章。理想の女性像を追求し、清澄で格調高い画風を確立。社会で活躍する女性が少なかった時代に日本画家として成功を収め、後進へと続く道を開拓した功績は大きい。
 1949年8月27日、74歳で逝去。

山種美術館の上村松園

-上村松園のことば
 私は大(たい)てい女性の画ばかり描いている。
 しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。
 一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香(かおり)高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである。

 その絵をみていると邪念の起らない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる……といった絵こそ私の願うところのものである。

 芸術を以(も)って人を済度する。
 これくらいの自負を画家は持つべきである。

 よい人間でなければよい芸術は生れない。
 これは画でも文学でも、その他の芸術家全体に言える言葉である。
 よい芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来一人もいない。
 みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。

 真・善・美の極地に達した本格的な美人画を描きたい。

 私の美人画は、単にきれいな女の人を写実的に描くのではなく、写実は写実で重(おもん)じながらも、女性の美に対する理想やあこがれを描き出したい―という気持ちから、それを描いて来たのである。

『青眉抄』 六合書院 1943年

No. 1 《蛍》

上村松園《蛍》(ほたる)
1913(大正2)年 第7回文展
絹本・彩色・軸(1幅) 174.5×97.7cm
山種美術館
上村松園《蛍》(部分)

-上村松園のことば- 「蛍」
 蚊帳に美人と云(い)うと聞くからに艶(なまめ)かしい感じを起させるものですが、それを高尚にすらりと描いて見たいと思ったのが此(この)図を企てた主眼でした。良家の婦人を表したのです。時代は天明の少し古い処(ところ)で、その頃の浴衣を着て、是(これ)から寝(やす)もうとする処ですから、細い帯を横に結んで居(おり)ます。
 時が夕景のものであるから成るべく涼しげな感じを起させることに努めました。水のような青い蚊帳と服装の配合も凡(すべ)て此涼しげと云うのが元になって居ります。この涼味を表すと同時に下品に陥(おちい)らぬ様に注意したので模様なども成るべく上品なものを選びました。
 服装の模様などは別に拠(よ)り所も何もありません。唯(ただ)多く其時代に使われて居そうなものを描いて見たまでです。要するにこの図はともすれば、廓(くるわ)の情調でも思い出させそうな題材を捉えて却(かえ)って反対に楚々たる清い感じをそそる様に、さらさらと描いたものです。

初出:『帝国絵画宝典』帝国絵画協会 1918年
再録:『青眉抄その後』求龍堂 1986年
上村松園《蛍》(部分)

浴衣の裾から見える足の指はとても長い。江戸時代、京都を中心に活躍した曽我蕭白の《美人図》(奈良県立美術館)などにも、着物の裾からのぞく足の指が長い立ち姿の女性が描かれており、古画を深く研究していた松園が蕭白からも影響を受けた可能性が指摘されている。

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